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コリアンドリーム

教理研究院の批判に答える PartII(その1)〜反論ならぬ反論への反論

前回の寄稿文に対し、教理研究院が改めて反論を提示
したが、それは率直に言って、反論にさえなっていな
い。自分たちの元の主張をそのまま繰り返している
だけだからである。或いわ、『反論した』という体裁
を整えるだけの目的で書かれのだろうか?


『顕進様が第4次アダムなのではない。み言葉に根拠
がないから。』
『顕嵐様は長子ではない。お父様は孝進様を長子と言
われたから。』
『顕進様に祝福の祝祷権はない。それは父母様だけの
特権なのだから。』


教理研究院の言わんとすることは、改めて繰り返され
なくとも分かる。読者とて同じであろう。先の寄稿文
はこうした教理研究院の『一面的な捉え方』に反論を
提起したものだったが、それを踏まえて回答している
と見られるのはせいぜい一点目(第4次アダム)だけ
であり、残りの2点については、到底、反論とはみな
し難い。堂々巡りを避けるため、2-3点目については
反論という以上に、より踏み込んだ議論を提起したい
と思う。


1)第4次アダムとは誰か?ーその原理的帰結


※『3次・4次』という言葉は見やすいよう、敢えて
数字で表記する。


教理研究院の当初の批判は『第4次アダムは(顕進様
ではなく)祝福家庭である』というものであった。
理由は『お父様のみ言葉にそうあるから』その一面的
主張に対し、こちらがまず指摘したのは、『祝福
家庭が第4次アダムの立場立ち得る原理的根拠は何か
?』であった。


祝福家庭が『第3次アダム』アダムまで続いてきた蕩
減路程を越え、本然の時代を拓く『第4次アダム』の
立場に立ち得るとしたら、それはひとえに、祝福家庭
が、『第3次アダム』の家庭を通して復帰された神の
本然の愛と生命と血統を受け継いだ立場だからであろ
う。それは『真の子女』抜きには存在し得ない立場だ
というのがこちらの最初の指摘であった。


即ち、祝福家庭が『真の父母の子女』となり得る理由
は、真の愛、生命、血統を受け継いだ『真の子女』が
地上に誕生したからであり、その方々と『一つになる
』ことで同じ立場に立つものとされたのである。また
、かつて最初に『子女の時代』が謳われたのは、当時
、孝進様が『真の子女』としての勝利基準を打ち立て
たからであり、祝福家庭はその勝利された子女様と
一つになるなることによって、人類の前に共にアベル
圏として立ち得るものとされた。成約時代の到来にせ
よ、天一国の時代宣布にせよ、『真の家庭』の勝利
基準が立つことを通して、またその家庭と一つになる
ことを通して、祝福家庭がその時代を共に生きる恩恵
に与ったのである。
続く




文顕進様を支持する有志の会

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