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コリアンドリーム

誰が摂理の中心なのか?

   『原理講論』第一章で明らかにしている創造原理は
、一から全存在が創造されたということである。全て
存在が二性性相として存在する理由は、神様が神様の
形状どおり人間と被造万物を創造したためであること
を創造原理を通じて表しているのである。この原理は
神様が原因であり人間は結果的存在ということを表し
ている。


この世の中に数多くの父母がいて家庭がある。ところ
で私たちはその前に『真』を付けて真の父母、真の家
庭と呼ぶ。愛・生命・血統も真の愛・真の生命・真の
血統と呼ぶ。真の』が付いているものと付いていない
ものの差は何か。正に起源の差である。真のお父様は
次のように語られた。


真の起源は神様であり、神様がおられることによって
真が成り立つ。真の父母とは単に一人の男性と一人の
女性が子供を産むことによってなる父母を言うのでは
ない。真の父母は創造原理に示されている神様の男女
に対する理想を根元とし、その実体となった父母を言
う。また真の家庭は単に父母と子女から構成された
家庭を言うのではなく、神様の家庭理想から始まり、
それが実体化された家庭を言う。このように真の父母
と真の家庭は人間自らの意思によって形成されたもの
ではなく、神様の理想と目的によって形成された父母
であり家庭である。


愛と生命と血統も同じである。人間は愛も生命も血統
も全て自分のものという意識を当たり前に持っている
。私が誰かを愛し、私がまた私たちが子供を生む、し
かし私の意のままに、私の感情どおりに動くことが愛
ではない。神様から始まった相手のための愛、それが
真なる愛だ。生命も同じだ。生命は神様の愛から創造
され、それゆえ生命の根源も神様だ。血統はどうか。
私たちは金氏とか朴氏とか李氏とかの血統が血統とし
て錯覚しているが、神様の愛と生命の結実して現れる
ものが血統だから、神様が血統の起源である。このよ
うに、原因者となった神様の前に人間は結果的存在で
ある。それが人間のアイデンティティである。


このような人間のアイデンティティは、私たちが原因
者たる神様の意志によって創造された存在であり、し
たがってその創造主の意志を中心として生きなければ
ならないことを意味する。神様はご自身の意志と目的
に統制を受けながらも、また自由意志を持って自ら
責任を負うべき道徳的存在である。責任を意味する
英語『Responsidiity』という単語は単Respons(回答
とAdilty『能力』の合成語である、即ち責任とは神様
の意志に回答する能力である。したがって人間の責任
とは神様の意志に回答する能力を意味する。人間の
責任の態度は神様と神様の意志を理解し、それにアラ
インし、それに応じることである。


私たちは時として自分の意志を立て、それを神様が
成してくれるように願うことがある。私の事情がこう
だから、この事情を推し量って福をくれという。まる
で高貴な方に奏上する請願書のように、一番目、二番
目、三番目と所願を神様に告げ、その所願が成就する
ことだけを待つ。もし福が来れば私の精誠のゆえと
言って傲慢になり、もし福が来なければみ旨の道を歩
み苦労をして来たのに、、と天を恨み自己憐憫に陥っ
たりする。しかし人間の責任分担の核心ば私の意志ど
折に自分勝手に神様を動かし神様に応じさせることで
ななく、神様のみ旨に私が応じることである。私の思
いのままにではなく、父のみ旨ままにしてください。
という内的姿勢が人間の責任分担の出発点である。

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