『イエス様は神様の息子だ』と言いましたが、神様はイエス様を愛することができませんでした。
十字架にかかって死ぬようになりましたが、なぜ死の場から引っ張り出して保護してあげられる息子になれなかったのでしょうか。神様が本当に世の中に一人しかいない息子として送ったその息子が死ぬのに、なぜ背を向けるのかというのです。
全く、そのような父母がどこにいますか。私たちが、そのような父母を信じていて天国に行けますか。保証されますか。イエス様の願いさえも成してくれないのに、イエス様のその切実な
祈祷さえも聞いてくれないのに、息子を死の場に送り出したそのような立場に立った神様を、
私たちが信じ、『天国に行こう』と言うことができますか。
神様はたくさんの能力をもっていらっしゃいますが、もつれたものをそのごとくに解いていかれる立場におられるのです。しかし、それを解くにおいては、神様が解くことはできないのです。人間が解かなければなりません。人間が解かなければ神様のみ旨が成されない立場では、
愛する人をも身代わりに蕩減の祭物にして、それを延長される作戦をしていくのが神様の摂理の延長なのです。
(1973号8月5日『文鮮明先生み言葉選集第
68巻)