<復帰・復帰の心情>教会はこれに答えなければならない。
復帰の道は、苦労しながら、血を流しながら
行く道である。
復帰の道は取り返していく道、原理の道は
たどっていく道。
今日までの歴史は打たれて奪ってくる歴史で
あった。ゆえに歴史は打たれて追われる群が
引っ張ってきた。皆が嫌がる立場、痛哭する
所に行きなさい。その道が歴史の流れてきた
骨髄である。
神の嘆息の事情とやるせない心情を誰が担当
するか。アダムによって凝結されてきた全
歴史的条件をあなたでもって蕩減しなさい。
そうするためには、アダムを恨むな。かえって
彼を理解し同情しなさい。そうすることによ
ってのみ、アダムを通じて出発でかきなかっ
たみ旨があなたから出発することができるの
である。
我々は幹であり、葉であり、神は根である。
葉を一枚つければ、そのぐらいで根ではより
大きい戦いが始まるようになる。神は人間の
ためにすべて犠牲の重荷を代わりに背負って
くださってこれを忘れようとなさるが、サタ
ンはこの負債を条件として我々を打とうと
かかってくる。
家庭連合は、約十年以上にわたり文顕進様を
打ち続けてきた。打って復帰する原理という
ものがいつからできたのであろうか。教会は
この質問に答えなけばならない。